del(デル)の人生探究日記

夫婦関係、子どもの教育、働き方、ファッションなど、人生を楽しむために日々探求し、その気づきを綴っています。

いまさら親を責めるつもりはさらさら無いけれど

こんにちは
del(デル)です。
 
先日のブログに書いた通り、
娘はんの子育てをしている中で、
否応無く向き合わされているのが、
両親の私への関わり方です。
 
私は第二次ベビーブーム世代ど真ん中で、
共働きの両親の元に三姉妹の次女として生まれました。
 
当時は今より女性が働く環境は厳しかったと思いますし、
ただでさえ3人の子育ては大変で、
両親は余裕がなかったと思います。
 
父、母共に戦争中という、
文字通りサバイバルな環境で生まれたのも、
二人の性格に少なからず影響があったと思います。
 
結果的に両親の私たちへのコミュニケーションは、
感情的で、
反対意見を許さず、
力で押さえつける、
という形でなされた(と私は感じ)ていました。


 
具体的には、
「親に向かってその口の聞き方はなんだ」と論点をずらされたり、
「そういうものなんだからしょうがない」
「みんなそうなんだから」と納得いかないまま意見を押し付けられたり、
「仲良くしなさい」
「謝りなさい」と意見も聞かずに強制されたり。
 
時代もありますが、
「しつけ」という名の体罰もしょっちゅうでした。
 
恐らく毎日が精一杯の両親にとって、
ゆっくり話し合うより、
力で押さえつけた方が早いし楽だったのでしょう。
 
その気持ちも親になった今はわかります。
 
もしかしたら両親自身も、
そのような接し方しかされていなかったのかもしれません。
 

秋田といえば有名ななまはげが、
「なぐこはいねがー!(泣いている子はいないか)」と言っていた通り、
言葉が出てこなくて泣いていると「泣くな!」としかられました。
 
言いたいことがあっても、
ぐっとこらえて我慢するか、
こらえたものが爆発したものを感情的にぶつけ、
さらに感情的に怒られて鎮圧される、の繰り返し。
 
「冷静に違う意見について話し合う」
という言葉ば我が家の辞書にはありませんでした。
 
もしかしたら、
いいこともたくさんあったのに、
私の記憶が辛いことばかり残しているのかもしれません。
 

もっと辛い思いをした人もたくさんいると思います。


こんなことを書いて、
40過ぎたいい大人が、
両親はひどい人だったと責めるつもりも、
「親がこうだったからわたしはこうなのだ」と言い訳をするつもりはさらさらありません。
 
ただ、
 
私はそういう関わり方をされて傷ついていた。
私はもっと自分の意見を伝えたかったし、
それを受け入れて欲しかった
 
という、
「ずっと癒されたがっている小さい頃の私を認める」ことが、
新しい脳で人生を選択して生きていくための第1歩ではないかと感じています。
 
そうすることで、
日常で何度も起こる、
古い脳の中の「小さな傷ついた私」が反応してしまう場面に遭遇した時、 
(まあ、大抵は夫に対してイライラする時なんですがwww)
 
今は「癒されたがっている小さな私」が反応しているんだ。
でもこの人は両親ではないし、
私ももう小さな子供では無い。
 
だから今の私は、
お互いを傷つけずに接することができる」と気づき、
次のステップに進めるのかと。
 
言うは易しだとは思いますが。
 
こうして全体像が見えて、
自分なりに言語化できたことで、

心の中が少しすっきり。
 


毎度私的&めんどくさい話で失礼しました^^;